Vo.2 新野さんにインタビュー!

森:様々なことに取り組んでいらっしゃる新野さんですが、最初はどのような始まりからスタートしていったのでしょうか?

新野:まず廃墟ビルを貸してくれる人が見つかったのです。なんとこの日本橋なのに、250平米くらいを15万円で貸してくれることになりました。思わず飛びつき、まぁ完全に見切り発車で、ここからは失敗の連続でした。

そもそも40万だと思っていた電気工事代金も220万だったり等々…。正直に言うと親に300万借りました。うちの兄にもボーナス20万円借りてしまいましたね…。若者が300万集めるのにどれくらいの時間がかかるのか、親に借りられるのであれば、借りてしまった方が良いと思います。

 

このように、僕には華やかな資金調達なんてありませんでした。

考え方も軽いノリで、社会人になったらイヤでも働かなければならないから、学生のうちは1円にもならないけど面白いことをやろうと考えていました。そして次第に「自分のやりたい仕事を定年なしにやり続けるために何をすればいいのか?」と考えていきました。

考え方は軽いノリ、行動は見切り発車でスタートしたあまり、一緒に夢を見たクリエイターの奥さんに「頼むからウチの旦那を巻き込まないでくれ」なんて言われたりするなど誰にも認められない活動でしたが、10年くらい続けていると、大手デベロッパーの方などに「あなたの活動が先駆的だ」と大絶賛されるんですよ。まぁ気を抜くと、また手のひら返されるんですけどね。 

 

「Creative Hub 131」での企画

プロデュース企画「日本橋街歩き」


 

森:新野さんが若い人に伝えたいことはなんでしょうか?

新野:時代は変わっているので一概に言えませんが、私は学生時代に「20代をいかに浪費するかで人生が変わるよ」と言われました。

実際に他の同年代が社会に出て現実を受け入れ諦めていく中、ぼくは20代を浪費したのでまだ諦めないですよ。悪く言えば、未だにちょっと生意気です(笑)。そして是非、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとるという事を行ってほしいです。私はこのサイクルをひたすら行ってきました。絶対人の責任にしないで、全て自分ごとにすることが大切ですよ。

 

【インタビューを終えて】

新野さんは、“軽いノリ”と凄く簡単そうに話しているが、実際はかなり困難の連続だったに違いない。いくら見切り発車といえど、その発車する勇気は、失敗も成功も全て自分のせいにするということの積み重ねのうえに成り立っているのだ。

【 ライター自己紹介:森 敬暉 】

高64回(2012年)卒。文系B群。弓道部に憧れて、入学するも中二病心からアーチェリー部を選んでしまった。たまに「ダーツってうまいんですか?」と質問されますが、全くそんなことはありません。

新野さんには約1時間30分もお話しをして頂いたが、そんな中でも新野さんらしさ光るやりとりをピックアップしてお伝えしました。