Vol. 1  森 敬暉 君が神野さんに聞く!

【自己紹介】

文系B群。中学はアーチェリー部。マンガが大好きで中高はひたすら漫画を読んでたジャンプっ子。その甲斐あって、出版社で働いています。(ジャンプは一切関係ないです)ボードゲームにはまっておりまして、絶賛対戦相手募集中です。

 

【記事】

森:どのような東海生活を送っていらっしゃったのでしょうか?

神野:中学入試を経て東海に入学し、高校は文Bでした。中学三年生から高校二年生までは、記念祭と生徒会の役員をやっていました。

記念祭が僕らの代で三代目、四代目あたり、まさに盛んになり始めたときで、またカヅラカタをつくった代でした。記念祭はカヅラタカの成果もあり、初めてお客さんが一万人を超えました。

他にもサタデープログラムを一つ上の代の先輩が立ち上げ、第二回から実行委員に所属しておりました。

中学高校時代からイベント運営が好きで、それが今の仕事につながっているのでしょう。実際に、記念祭の実行委員会で顧問の先生が、組織づくりのノウハウを教えてくれたことは活きていますよ。

 

森:イベントと聞くと、ラグビーワールドカップのお仕事をしているのは納得できるのですが、なぜ大学卒業後は公務員になったのですか?

神野:中学高校時代は政治家志望で、大学時代には衆議院議員の学生秘書をしていました。

政治家として活動するというのは目的ではなくて、偉そうな言い方をしますと、ちょっとでも社会がよくなるように貢献する手段です。そして選挙活動や政治資金パーティ、後援会活動など秘書として一年活動した結果、「このアプローチは自分にはあっていない、このままだと自分のやりたいことが出来ない」ということに気が付きました。

私にとって政治家は最適な手段ではない、そこで同じように社会をつくるということから、行政を選びました。

森:行政の方が、ラグビーW杯に携わるイメージが湧かないのですが・・・

神野:公務員時代にスポーツチームの支援なども担当したんですよ。

町田市は当初人口6万人だったのですが、それから数十年後の今では43万人ほどになりました。しかし東京の人は、地域に対する帰属意識が薄いですよね。そこで町田市は、スポーツチームを地域への帰属意識や一体感を醸成する為のシンボルとして位置付けています。

担当したチームは、Jリーグ、フットサル、ラグビーの計3つのチームの担当をしていました。そのラグビーのチーム「キャノンイーグルス」のGMが、ラグビーワールドカップの盛り上げと自身のチームの強化を狙って、スーパーラグビーのチームとトレーニングマッチを企画しました。そこで組織委員会の方と知り合いになり、今の仕事に転職したのです。

 

森:最終的には、どのような目的を達成したいのでしょうか?

神野:具体的にこの分野のここをかえたいという目的はありません。

ただ今まで誰も作ったことのないものを作り出し、それによって上手くいかなかったことが上手くいくようになることが楽しいのです。

今はその領域がスポーツボランティアにあると思い、活動しています。